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徳島地方裁判所 平成6年(ワ)490号 判決

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  原告の請求

被告は、原告に対し、金七〇〇〇円を支払え。

第二  事案の概要

本件は、指定場所一時停止違反の反則行為により反則金納付の通告を受けた原告が、反則金七〇〇〇円を納付した後に、指定場所に設置されていた一時停止の標識が、道路交通法四条五項の委任を受けた道路標識、区画線及び道路標示に関する命令(昭和三五年一二月一七日総理府・建設省令第三号、以下、「標識令」という。)三条所定の別表第二に定められた基準寸法を満たしておらず、その視認性に問題があるから、右通告は違法な標識に基づく違法な交通規制によるものとして無効であり、しからずとしても本件反則金の納付は錯誤により無効であるとして、反則金七〇〇〇円の返還を求めている事案である。

一  当事者間に争いのない事実

1  原告は、平成五年八月三一日午後四時三五分頃、神奈川県伊勢原市下糟谷一二七四番地先の一時停止の標識が設置された交差点(以下、「本件交差点」という。)において、伊勢原警察署警察官志賀文生(以下、「志賀」という。)から、道路交通法一二六条一項に基く交通反則告知(以下、「本件告知」という。)を受けた。

2  原告は、本件告知に従い、平成五年九月七日、被告に対し、反則金相当額である七〇〇〇円を仮納付(以下、「本件仮納付」という。)した。

3  神奈川県警察本部長は、志賀から本件告知の報告を受け、原告が本件告知にかかる種別に属する反則行為をした反則者であるか否かの認定を行い、原告の仮納付の事実を確認した後に同法一二九条二項の公示通告(以下、「本件通告」という。)の措置を執った。これにより、本件仮納付は、同法一二九条三項に基き反則金の納付と見なされた。

4  本件交差点は、県道横浜伊勢原線から分岐した一方通行道路(以下、「本件道路」という。)と畠田橋交差点から小田原厚木道路に至る道路とが交差する場所にあり、交通整理は行われていないが、交差点手前の本件道路面には「停止線」及び「止まれ」の標示がいずれも白色で表示されており、本件道路左側路端には標識令三条所定の別表第二に規定する一時停止の標識(以下、「本件標識」という。)が設置されている。

5  標識令三条所定の別表第二規制標識の項番号三三〇に定められている一時停止の様式等によれば、一時停止の標識の三角形の二辺を延長した交点を結んだ長さを八〇センチメートルとする旨定められているが、標識令三条所定の別表第二備考一(二)8項(現行では9項)には「規制標識については、道路の設計速度、道路の形状又は交通の状況により特別の必要がある場合にあっては、図示の寸法の二倍まで拡張し、又は図示の寸法の二分の一まで縮小することができる。」と定められている。

6  本件標識の三角形の二辺を延長した交点を結んだ長さは53.3センチメートルである。

二  争点

1  本件通告の効力(主位的請求)

(一) 原告の主張

本件通告は、以下の理由により違法な交通規制に基づくものであるから無効である。

(1) 本件標識は標識令三条所定の別表第二規制標識の項番号三三〇の基準寸法を満たしておらず違法である。

すなわち、標識令の上位法である道路交通法施行令一条の二第一項は「法第四条第一項の規定により都道府県公安委員会(以下、「公安委員会」という。)が信号機又は道路標識若しくは道路標示を設置し、及び管理して交通の規制をするときは、歩行者、車輛又は路面電車がその前方から見やすいように、かつ、道路又は交通の状況に応じ必要と認める数のものを設置し、及び管理してしなければならない。」と定めており、これを受けて、標識令は前記一5のとおり、一時停止の標識の三角形の二辺を延長した交点を結んだ長さを八〇センチメートルとする旨定めるとともに、例外的にこれを縮小できる場合を認めているが、規制標識の設置は違反行為に対して刑罰等の制裁を科す前提となるものであるから、標識を縮小できる場合の要件である「道路の設計速度、道路の形状又は交通の状況により特別の必要がある場合」の認定、判断は慎重になされなければならない。

しかるに、本件道路の設計速度は毎時四〇キロメートルと決して低くなく、本件道路の形状も「ト」の字型で、本件標識がある側が直進であるため優先道路と誤信しやすい上、中間帯の植え込みにより交差点であることがわかりにくいことや本件道路が本件標識の約一〇〇メートル手前で緩やかにカーブしているため約七〇メートル手前にいたるまでは本件標識が視認できないこと、さらに、本件交差点付近の交通の状況についても特段標識を縮小しなければならないような必要性は認められないのであるから、本件標識は違法である。

(2) 本件標識が仮に標識令の認める例外に該当するとしても、次の理由により違法である。

① 道路交通法施行令一条の二第一項違反

時速四〇キロメートルで走行する運転者の動体視力は、静止時に1.2の者でも0.8にまで低下するから、道路標識が所定の大きさを有することは安全対策上不可欠であるのに本件標識は面積比で標準標識の四〇%しかないこと、本件交差点のペイントによる「止まれ」の道路標示は、縦方向でなく横方向に描かれており直前になるまで視認できないこと、本件標識の視認が可能になる地点には厚木伊勢原方面を指示する案内標識と小田原厚木道路入口を指示する案内標識が連続して設置されており運転者の注意がそがれることに加え、本件標識は進行方向の真西にあるため、夕刻は強い西日が射し著しく視認しにくくなることから、本件標識は、道路標識は見やすいように設置管理されなければならないと定める道路交通法施行令一条の二第一項に違反している。

② 比例原則違反、他事考慮による違法

被告主張(後述)のように、標準標識を設置すれば標識と車輛が接触する危険性があるというのであれば、ガードレールの外側に屈曲した支柱を用いるか、標識を本件道路右側の植樹帯内に設置することによってこれを避けうるのに、これらの方法を考慮することなく縮小標識を設置したのは、標識の接触事故を避けるという目的に比し標識の視認性を確保できなくなり交通事故発生の危険性が増加するという重大な結果をもたらすもので警察比例の原則に違反し、また、本来考慮すべき交通事故の発生予防という目的要素を軽視し標識の接触事故の危険性を過大に評価する点で他事考慮による違法がある。

③ 適正手続違反

規制標識の設置は刑罰や反則金による制裁を科すための千続きの一環をなしているから、憲法三一条の趣旨に照らしてその設置は適正になされなければならないのに、被告は本件標識と車輛との接触事故の危険性を過大に評価して、その視認性や規制を受ける国民の権利保護に対する配慮を欠いているから、本件標識は憲法三一条に違反して無効である。

(二) 被告の主張

原告の主張は、本件標識が違法であるから本件交通規制も違法であり、本件通告は無効であると主張するが、右主張は交通反則通告制度に対する理解を欠き、通告の効力につき独自の見解に立つもので失当と言うべきである。

(1) 通告の有効要件は、通告時において警察本部長が通告の理由となった行為を反則行為に該当すると認めたことに合理性があれば足り、原告主張の前提になっている通告の内容の真実性(真実反則行為があったこと)ではない。

しかるに、本件では、原告の一時停止違反を現認した志賀が、本件告知を行ったのであるが、本件標識は標識令三条所定の別表第二備考一(二)8項(現行では9項)に基き標準規格の標識を縮小したものであり何ら標識令に違反するものではないこと(後述)、本件標識の設置状況は道路の左側にガードレールに沿って支柱が立てられており周囲に標識を遮る樹木等も存在しないのであるから、車輛運転者が前方を注視している限り本件標識を視認することができること等の事実を総合すれば、志賀が本件告知時に原告の一時停止違反行為を反則行為に該当すると認めたことは、十分合理性を有し、また、志賀から報告を受けた神奈川県警察本部長が本件通告時において原告の一時停止違反行為を反則行為に該当するとの心証を得たことについても十分合理性を有することができる。よって、本件通告は有効である。

(2) 本件標識の標識令適合性

本件標識が設置されている場所には従前標準標識が設置されていたが、本件道路が幅員3.4メートルの狭溢な道路である上、通行車輛の約五台に一台が大型車両であるため標準標識に車輛が接触することが絶えず、また、特殊車輛を運搬するトレーラーが本件交差点を右折することもあって、平成四年一〇月頃には車輛の接触によると思われる原因によりコンクリートの基礎部分ごと倒壊したことがあった。そこで、神奈川県公安委員会は、標識令三条所定の別表第二規制標識の項番号三三〇に定められた寸法八〇センチメートル(一時停止の標識の三角形の二辺を延長した交点を結んだ長さ)の三分の二に当たる53.3センチメートル(同)に縮小した本件標識を設置したものである。

その際、神奈川県公安委員会は、本件道路における前記交通の状況の他、本件道路の設計速度が時速四〇キロメートルと中程度であることや本件道路が直線の一方通行路で本件標識の視認性を妨げる障害物が何もないことに加え、本件道路が前記のとおり幅員3.4メートルと狭溢であるなどの本件道路の形状をも考慮して、本件標識は標識令三条所定の別表第二備考一(二)8項(現行では9項)に定める要件を満たしていると判断したものである。

2  本件反則金納付の効力(予備的請求)

(一) 原告の主張

反則金の納付は、表意者の自由意思によって行われる行政上の法律行為であるから民法九五条の適用があるところ、原告は本件標識の適法性や本件通告の有効性を誤信して本件反則金を納付したから、錯誤により無効である。

(二) 被告の主張

原告主張の前提になっている本件標識の標識令適合性や本件通告の有効性につき全く問題がないから、原告の主張は理由がない。仮にそうでなくても、原告は本件反則金の納付につき動機の錯誤を主張しているが、そのためには動機が相手方に表示されていなければならないが、この点につき原告は何ら主張しないから、主張自体失当である。

第三  争点に対する判断

一  原告が納付した本件反則金七〇〇〇円が被告の不当利得であるというためには、右納付が法律上の原因なくしてなされたことが必要である。この点につき、原告は、主位的に本件通告の無効を、予備的に本件反則金納付の錯誤無効を主張するので、以下順次検討する。

二  本件通告の有効性について

1  交通反則通告制度は、近年急激に増加した道路交通法違反事件を事案の軽重に応じて合理的に処理するとともにその処理の迅速化を図るため、刑罰を存置させつつ、違反事件のうち比較的軽微であって、現認、明白、定型のものを反則行為とし、反則行為をした者に対して警察本部長が法定額の反則金の納付を通告し、その通告を受けた者が一定の期日までに反則金を任意に納付したときは、当該反則行為について刑事訴追をされず行政手続で事案を終結させることとし、反則金の納付がなかったときは本来の刑事手続が進行するという制度である。

2  通告は、交通反則通告制度の中の重要な手続きで、警察本部長が反則者に対して反則金の納付を通知する行政上の措置(準法律行為的行政行為の一種といわれる通知行為)であると解されるが、それ自体は反則者に何ら反則金の納付を義務づけるものではなく、反則者に対し反則行為を犯したこと及びこれを納付すれば公訴を提起されないこととなる効果を持つ反則金の納付を通知するにすぎないものである(もっとも、反則者は、通告によって初めて反則金を納付して事案を終結させるか、反則金を納付せず刑事訴追を受けるかを選択する機会を与えられるのであるから、反則金の納付は通告に基いてなされるものと言うことができる)。

3 以上の交通反則通告制度の趣旨や通告の法的性格に照らせば、通告が有効であるためには、通告時において、警察本部長が通告の理由となった反則行為となるべき事実があると認めたことに客観的合理性があれば足りると解するのが相当である。

言うまでもなく、通告時には、本来刑事手続においてなすべき通告の理由となった反則行為となるべき事実が真実あったか否かは未だ明らかではなく、警察本部長の反則行為となるべき事実があったと認める心証があるだけである。しかしながら、大量の比較的軽微な道路交通法違反事件を合理的かつ迅速に処理するためには、右警察本部長の心証に客観的合理性がある限り、通告を受けた者が、その自由意思により反則金を納付(道路交通法一二九条三項により仮納付が反則金の納付と見なされる場合を含む。)し、これによる事案の終結の途を選んだときは、反則行為となるべき事実の存否については、行政手続限りの認定に服しもはや刑事手続による事実の解明を求めないで事案を確定的に終結させることに同意したものと見なされるべきである。従って、いったん反則金を納付した者が後になって反則行為となるべき事実の不存在を主張することは禁反言の原則に反して許されないと言うべきである。

原告の主張のように、反則行為となるべき事実が真実あったことを通告の有効要件とし、警察本部長の客観的合理性がある心証に基づく通告を受けた者が、その自由意思により反則金を納付した後でもその点を争って民事訴訟手続で通告の無効を主張し、これを理由に反則金の返還が認められたときは反則金の納付がなかったものとして新たに刑事手続において右事実の存否を争えると解することは、交通反則通告制度の趣旨を没却することになるばかりでなく、本来刑事手続で審理されるべき事項について刑事手続を経ることなく民事訴訟手続で審理することになり、刑事手続と民事訴訟手続との関係について複雑困難な問題を生ずることになる。

4  そこで、本件通告時において神奈川県警察本部長が原告に本件通告の理由となった反則行為となるべき事実があると認めたことに客観的合理性があったかどうかを検討する。

当事者間に争いのない事実及び証拠(甲一、二、乙二ないし七、九、一三、一四、原告本人、証人大島喜三郎、同志賀文生)によれば、以下の事実が認められる。

(一) 平成五年八月三一日午後四時二八分頃、本件交差点付近で同僚と二名で駐留警戒を兼ねた交通取締り中であった志賀は、本件道路を走行してきた原告が、減速せずに本件交差点に入り、一度も停止しないまま走り去るのを現認したので、マイクで停車するよう求めるとともに同僚が原告を追尾した結果、原告は、本件交差点の停止線から約七〇メートル程進行したところで停車した。ちなみに、志賀は、通常、車輛が停止線を多少越えたとしても、運転者が一旦停止した場合には注意処分にとどめ、停車しないで通過した場合のみを反則事犯と取り扱う運用をしている。

(二) そこで、志賀は、原告に指定場所一時停止違反の反則行為があったことを現認したとして、同日午後四時三五分頃、その場でその旨を記載した交通反則告知書(甲一)を作成し、これを原告に交付して本件告知をした。これに対し原告は素直に一時停止違反の事実を認めた。その後、志賀は右告知した旨を神奈川県警察本部長に報告し、原告は、右告知に基いて同年九月七日反則金七〇〇〇円を仮納付した。神奈川県警察本部長は志賀の右報告を受けて証拠資料を検討した結果、原告に指定場所一時停止違反の事実があると認めて、同年一〇月一日、原告に対し本件通告をした。これにより、原告がした右仮納付は反則金納付と見なされた。

(三) 本件標識は、標識令三条所定の別表第二規制標識の項番号三三〇に定められた寸法八〇センチメートル(一時停止の標識の三角形の二辺を延長した交点を結んだ長さ)の三分の二に当たる53.3センチメートル(同)に縮小した標識であるが、この寸法は標識令三条所定の別表第二備考一(二)8項(現行では9項)で許された範囲内の大きさである。

(四) 本件標識が前記の縮小標識とされたのは、従前その場所に設置されていた標準標識が、平成四年一〇月頃、車輛の接触により倒壊したことがあったので、神奈川県公安委員会は、新たに道路標識を設置するに当たり、本件道路を通行する車輛の約五台に一台が大型車両で、特殊車輛を運搬するトレーラーが本件交差点を右折することもある等の本件道路における交通の状況に鑑み、標準標識では車輛が接触する危険性が高いと考え、また、本件道路の設計速度が時速四〇キロメートルと中程度であることや、本件道路が幅員3.4メートルと狭溢でかつ直線の一方通行路で本件標識の視認性を妨げる障害物がないという本件道路の形状等をも考慮して、本件標識は標識令三条所定の別表第二備考一(二)8項(現行では9項)に定める要件を満たしていると判断したものである。

なお、これまでに本件標識が小さいとか、そのために視認性に問題があるというクレームが出たことは全くない。また、原告自身「よほどの専門家でないかぎり標識が法令の基準に適合していない疑いがあることにすぐに気づくのを期待することは不可能である」と認めている。

(五) 本件道路は、設計速度が時速四〇キロメートルとさ程高いとはいえず、また、本件標識の手前約八〇メートル付近にある県道横浜伊勢原線から直線の一方通行路で、特に本件標識を遮るような障害物もない。

原告が主張するように、本件交差点付近は特に夏の夕刻には西日が強いことや、本件交差点の「止まれ」の道路標示が横方向に描かれていること、自動車運転手の動体視力の問題等を考慮しても、本件標識の視認性が特に損なわれるということはない。原告も本件標識の手前七〇メートル付近からこれを視認できることを認めているし、本件でも本件標識の手前約一五メートルの地点では視認したことを認めているところである。

以上の事実によれば、志賀が本件告知時に原告の一時停止違反を現認し、原告もこの事実を認めて本件仮納付を行っており、また、本件標識も標識令で許された範囲内の大きさでありその視認性についても特に問題はなかったのであるから、本件通告当時神奈川県警察本部長が原告に本件通告の理由となった反則行為となるべき事実があると認めたことには客観的合理性があったと認めるのが相当である。

三  本件反則金納付の錯誤無効について

行政過程における私人の意思表示に瑕疵がある場合に民法の法律行為に関する規定の適用を排除する理由はないから、本件反則金の納付に錯誤があれば民法九五条の適用がある。しかしながら、本件で原告が主張しているのは動機の錯誤であるが、動機は相手に表示されなければならないと解されるところ(特に行政過程の安定性の点からも必要である。)、原告はこの点につき何ら主張しないから、主張自体失当である。

なお、原告が主張する錯誤内容は本件標識の適法性と本件通告の有効性であるが、本件標識が標識令に適合していることは前記二4(三)、(四)のとおりであり、本件通告が有効であることも前記二のとおりであるから、いずれも理由がない。

四  以上のとおり、原告の主張はいずれも理由がなく、その余の点について判断するまでもなく、原告の請求はいずれも理由がない。

(裁判官大西嘉彦)

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